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裁判長が被告人に「人格的な意味で死んでほしい」 こんな過激なことを言って大丈夫?

2013年11月11日 14:41  弁護士ドットコム

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裁判長が判決を言い渡した後、被告人に対して言い聞かせる「説諭」。その多くは「二度と繰り返さないように」などといった定型的な内容だが、なかには裁判長の個性が強く表れる説諭もあるようだ。福岡地裁の裁判官がこのほど、殺人などの罪に問われていた男性に対して行った説諭が「過激だ」と話題になっている。


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朝日新聞によるとこの裁判は、元妻に対して家庭内暴力(DV)を行っていた男が、元妻をかくまった妻の友人宅に押しかけ、妻の友人の顔や首などを20カ所以上切りつけ殺害したという内容。裁判長は判決で、男に対して懲役24年を宣告した後、「遺族は死刑を求めた。私たちも死んでほしいと思っている」と述べ、その直後に「生物的な意味ではなく、人格的な意味で」と付け加えたという。



人に反省を促す言葉としては、かなり過激な響きだと思えるが……。そもそも説諭とは、何かの法律で決まっていることなのだろうか。また、話す内容について法的な制限はあるのだろうか。そして、今回の説諭は妥当といえるだろうか。元裁判官の春田久美子弁護士に解説してもらった。



●「説諭」には裁判官のキャラクターが色濃く表れる


「裁判官が判決宣告後に行う『説諭』は、刑事訴訟規則221条の『裁判長は、判決の宣告をした後、被告人に対し、その将来について適当な訓戒をすることができる』という定めが根拠となっています。法律用語としては『訓戒』が正式ですが、一般的には『説諭』と呼ばれています」



春田弁護士はこのように「説諭」の法律上の根拠を説明する。



「説諭は、『する・しない』も含めて、それぞれの裁判官のキャラクターや、刑事裁判そのものに対する考え方、価値観などが明確にあらわれる部分です。まさに、その法廷のカラーがくっきりはっきり出て、裁判官の人間味が温かくも冷たくも感じられる、裁判のクライマックスともいえるでしょう」



春田弁護士はこのように説明する。「説諭」は、裁判長の裁量に任されている部分がかなり大きいようだ。話す内容もその人しだいなのだろうか。



●さだまさしの歌を引用して諭す裁判官も


「内容も様々です。『刑務所でも、自分のやったことの意味をずっと考え続けて下さい』と諭すもの、『口では、反省してるって言ってるけど、ちっとも伝わって来なかったよ。いったい君は何を考えているんだ!』と語気を強めて吐き捨てるような口調のもの、『人生色々辛いことがあるのは当たり前。私だってそうです』とうち明けるもの、『健康に気を付けて。刑務所は寒いでしょうから』と被告人を案じ、激励するもの……。



他にも、歌手さだまさしの歌を引用して反省の気持ちを深める術をアドバイスしたり、法壇から降り被告人の横にしゃがみ込んで『困った時は周囲に相談すると約束してくれますか』と語りかける裁判官もいます」



●死刑判決を下した裁判官が「控訴を勧めます」と述べたことも


「私が裁判官だったころ、死刑判決を言い渡した裁判長が、『控訴し、別の裁判所の判断を仰ぐことを勧めます』と説諭したことが波紋を投げかけました。判決に自信がないことの表れではないか、そうであれば極刑を言い渡すなんておかしいという趣旨でした。



また、裁判員裁判が始まって初の死刑判決を宣告した裁判長も同じく、『控訴を勧めます』と説諭しています。こちらは、極刑を選んだ裁判員の"負担感"に配慮したのではないか、との見方もあり、裁判官の説諭はそういう面で問題になることもあります」



裁判官の説諭に、限界はないのだろうか。



●説諭には「一定の節度が必要」


「規則では『適当な』となっているので、やはり内容や言い方には一定の節度が必要なのではないか、と私は思っています。被告人にしてみれば法壇の上から否が応でも降りかかってくる"言葉"ですし、あくまでも被告人の『将来に』向けた心の琴線に触れる、被告人に向けてのメッセージが期待されているのではないか、と思うのです」



そうなると、今回、話題となった「説諭」については……。



「そういう意味で、今回の説諭は『私たち』の部分に着目すると、チームとして審理に関わった裁判員たちへの配慮、といった側面が強く出た発言だったのではないか、懲役刑にしたけど、本当は死刑にしたかったんだよ、と評議の空気感を表した発言だったのではとも聞こえてしまう気がしてなりません。



『人格的な意味で』と加えたのは、正直、よく意味が分かりません。人格的にせよ、人の生死について判決以外に意見を述べるのは『適当』の範囲を超えているように思えます。裁判員への配慮というのであれば、なおさら説諭の趣旨から外れ、本末転倒とさえ思えます」



春田弁護士はこのように述べ、今回の説諭内容に疑問を呈していた。



説諭はあくまで、被告人の将来についての訓戒でなければならない、ということだ。それを聞いた被告人が、どのような気持ちを抱き、その後どのように生きていくのか、裁判官はその点をも見据えて、言葉を選ばなければならないのだろう。


(弁護士ドットコム トピックス)



【取材協力弁護士】
春田 久美子(はるた・くみこ)弁護士
OLから裁判官に転身し、弁護士を開業(福岡県弁護士会)。本業の傍ら、小中高校生や大学生などの教室に出向いて行う〈法教育〉の実践&普及に魅力を感じている。2010年、法務省・法教育懸賞論文で優秀賞、2011年は「法教育推進協議会賞」受賞。NHK福岡のTV番組(法律コーナー)のレギュラーを担当。
事務所名:福岡エクレール法律事務所